2008-01-01から1年間の記事一覧

門を抜ける

夜、歯を磨きながら鏡に映るじぶんを見ていた。むかし歯の磨き方が下手、と散々歯医者に罵られたせいで、それ以来やたらと凝って磨くようになった。おかげで罵られることはなくなった。いつも通りにやっていて、ふと、奥の方を磨くときなど、手首をひねらせ…

革命を叫ぶ女

年賀状を二枚買った、この二枚だけ書けばなんだかもうそれで事足りそうだ。硬貨一枚ですませられればそれにこしたことはない。道々文面を考えていると、牛馬のごとく働くことが出来ないので、キューバのごとく革命をしたいと思います、というフレーズがひら…

かさなる

だれかと目があって、それがあまりにかっちりとした具合であったのに、すぐに外れた。外れたまま、再び合うことはなく、わたしも合わせようとはしなかった。そのだれかがどんなひとだったのかを忘れてしまった。知らない女性なのだが、いったいどこでの出来…

層について

半年ほど前、大学院への緊張感と倦怠が強かった頃で、ヴィタミン注射をよく打っていた。そのために近所の診療所へと通っていた。半年間あいだがあいて、再び訪れた。ヴィタミンではなく、予防接種である。診察室に通されて、あのとき大丈夫でしたか、注射の…

秋っぽい

先日同期のひとに「セピア色の女の子」という不思議なキャッチコピーを頂いた。わたしは今年二十三歳で、しかしあまりそういう実感はなくて、いまだに十四歳くらいの気分でいる。周りの人々が、二十五歳くらいになったら、などというのを聞くと、まだ十年以…

背表紙は群青よりも濃く

屋根裏の本棚がくずれかかっていた。物置になってしまった部屋である。そんなところの本棚だから、整理のために置かれているものの、家からそれらを隠すように雑多に入れられている。背面を支えている板がそうやってつめこみすぎていたせいだろう、歪んでい…

(夢)

夢にて。一人の女の子の話を聞いている。柱時計がこの頃おかしい、と言うので、どんなふうに、と聞いたときのことだ。わたしのお父さんとお母さんがなくなってから、それから十二時になると十五回も鐘が鳴るようになってしまったの。彼女が言い終わらぬうち…

靴の砂

中庭のすみっこで話しているうちに暗くなってきた。四時をすこしまわった頃に立ち止まり、ぽつりぽつりとことばを交わし、気づくと五時になり、六時になり、学生たちはキャンパスを離れていった。その脚だけが、きれいにまっすぐ動いているのを目の端でみと…

(日付不明の書き残したもの)

集合住宅の前には産地直送のトラックが駐まり、素早く八百屋ができあがる。入り日が欠けはじめて、鎖のようなかがやきを落とす。それを受けて、集う客の顔に影が波立つ。わたしはそれを横目に歩いた。すぐ隣には遊具がある。さび付いたブランコで、近所の高…

波千鳥

恒例となった「焼きまんじゅう」を、屋台に買いに行く。お会式は今日まで、と聞いていたのだけれども、よく確かめてみると朝法要を終えるまでで、つまりいまはもう「その後」なのである。来る途中も、昨夜の屋台がひしめくような、あるいは鱗のように連なる…

嗅覚と忘却

キンモクセイの花のにおいにはなつかしさとすこしばかりの暗い感情がまじっている。過去の、過去にしてはすっかり違うものになってしまったような場所からただよいのびてくる。花の匂いは薬品にも似ている。それは実験室の薬品といった清潔な感覚よりも、記…

水の読書

先日誕生日を迎えた、もう十年来の友人と話をした。電話を通してであるが、会話の呼吸の緊張とやわさが、なんだか前と変わっているようにも、もうずっと前からこんな具合になっていたようにも、記憶を透かして二つの感情をくゆくゆとのぼらせた。それでも会…