背表紙は群青よりも濃く

屋根裏の本棚がくずれかかっていた。物置になってしまった部屋である。そんなところの本棚だから、整理のために置かれているものの、家からそれらを隠すように雑多に入れられている。背面を支えている板がそうやってつめこみすぎていたせいだろう、歪んでいて、移動式なのにぐらぐらと危なっかしい。それを父と直しながら、ふと昔祖母が住んでいた家の窓を思い出した。

それを見つけたのも父で、窓枠とガラスを叩いて確かめながら、曲がっている歪んでいる、と言っていた。わたしはまだ十七歳だった。四月のことだったと思う。夕食をたべた後だったというのに、なんだか空腹ともわだかまりのすがたをかえた感情ともわからないものにぐいぐい圧されて、電車に乗って市街地へと出ていた。駅から五分ほどの安い中華屋でラーメンを食べた。すすっていた。酒精にふくらんだ声でしゃべる背広姿の男たちが四人ほど、きっとずっと続いているのであろう話を交わしながら食べていた。明るい声だった。けれども湿った土のようなものを感じて、それがいやでもなかったのだろう。わたしもいつか、こんな風になるのだろうと思っていた。
食べてから、また電車に乗って帰った。十二分に一本、プラットホームで時刻表を見て、そう覚えた。寺のある駅で降りた。線路沿いに歩いて、海岸に出た。遠回りをして家へ戻り、扉を開けると重く交響曲が聞こえた。父と母が聴いていた。玄関が暗く、ひんやりしていた。

昔読んだ本の背表紙を見るように、ふとそんな記憶がかすめた。細かなことはだいぶ忘れていて、景色と結びついた感情ばかりが強く残っている。板を圧したり、抱えたりしていると、それらは透明になった。骨組みだけになって、わたしの内側に食い入ろうとした。
何冊かの本とCDを再び自室に戻そうと選び、本棚を直す。なるべく記憶のしみついていないものがいい。それを読んでいた時期のことを覚えていると、なんだかやりきれなくなるものが多い。覚えていても、もう白昼夢のような曖昧なものならばいい。そんなものの中から、もう一度読みたいものを選んでいく。高校生の頃に使っていたのだろう古典文法の教科書も、なぜとなくそこに重ねた。さて、と電気を消して部屋を後にするとき、父がこれを読んでみろ、と一冊渡してきた。『西方の音』という本だった。